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#105

松下幸之助 / 井植歳男

経営の神様! 松下幸之助を支えた、もう一人の巨人!」
戦中・戦後、日本経済の激しい動乱期を独自の視点と手法で乗り越え、今なお“経営の神様”と称される松下幸之助。その陰には共に経営に取り組み、松下を支え続けた義弟・井植歳男の存在があった。今回は、“家電王国ニッポン”を生んだ2人の巨人、家電兄弟の軌跡をたどる。
 
●無い無い尽くしからの出発(松下幸之助)
日清戦争中に生まれ、9歳ででっち奉公に出された松下は、商売の面白さ、やりがいに目覚める。15歳で電気の世界へ飛び込み、やがて松下電器を創業。お金も学歴もない、丈夫な体もない、あるのは希望だけという波乱のスタートだった。
 
●船乗りを諦めた少年(井植歳男)
船乗りの父に憧れ、幼くして海に出た井植。少年のまなざしは海を通して世界へ向けられていたが、爆発事故に巻き込まれて九死に一生を得る。船乗りになる夢を断念した井植の元に、松下幸之助に嫁いだ姉から手紙が届く。それは、松下電器への誘いだった。
 
●松下電器の発展と戦争(松下幸之助・井植歳男)
松下は経営者の才覚を発揮し、会社は大きく拡大。井植も松下に鍛えられながら成長し、松下電器の東京進出や新事業開拓に腕を振るう。しかし、時代は戦争へ。軍部の無理な要求に懸命に応えたことから、思わぬ事態に…。
 
●松下最大の危機と三洋電機誕生(松下幸之助・井植歳男)
戦後、GHQから財閥指定を受け、松下電器は全役員が公職追放に。結局、役員1人が残れる状況となったが、井植は身を引き、松下は井植に自転車用発電ランプ事業を譲り渡して門出を見送る。その後復興した松下電器は、井植が創業した三洋電機とともに、世界に冠たる家電王国ニッポンをけん引する。
 
常に生活者目線で物事を考えた松下幸之助と、その哲学を行動で実践した井植歳男。戦後、やむなく袂を分かった後も、2人の信頼は変わらなかった。家電兄弟の人生をひも解くことで、日本人が今も見習うべき生き方、精神を浮き彫りにする。