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#102

市川昭介・星野哲郎

輝く昭和歌謡を牽引した星野哲郎(作詞)と市川昭介(作曲)には、作品に人に対する優しさ・温もりが溢れている。二人には、歌手や後進を数多く育てたという共通点がある。その原点には、長く続いた下積み生活、闘病生活など、幾多の苦難を乗り越えた体験がある。
自らの作品を「人生の応援歌」と呼んだ星野哲郎。「歌には希望がほしい」と語った市川昭介。二人はいつも微笑みを絶やさず、歌手、後進を温かく見守り続け、昭和の歌謡界で名曲誕生に貢献し続けた。名作詞家と作曲家の絆と作品の誕生秘話とは。
都はるみ「アンコ椿は恋の花」
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」

・星野哲郎少年は船乗りになることが夢
大病を患い船乗りの夢に破れた星野青年は山口県の小さな島でペン1本で新たな夢を追う。懸賞に応募の結果、作曲家・船村徹、美空ひばりとの出会いが。
「浜っ子マドロス」「思い出さん今日は」他

・市川昭介は歌手への夢を追って上京
早くに両親を亡くし、歌手になる夢を追って福島から上京。下積みのカバン持ち時代に独学で身につけた作曲術、そして、どんな辛い時にも「笑顔」が作曲家への道を開く。
「恋しているんだもん」「皆の衆」他

・市川昭介は都はるみの歌謡界の父
どんな時も、都はるみの陰になり日向となって都はるみを支え続けた。いつも「大丈夫、それでいいんだ」。歌に一途な愛弟子を、常に笑顔で見守った師匠の思いとは。
「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」「大阪しぐれ」「夫婦坂」他

・星野哲郎の人生、作詞のテーマは人々への「応援歌」
そこには、常に星野を支え続けた妻の存在があった。
「兄弟仁義」「三百六十五歩のマーチ」「男はつらいよ」他