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#89

島倉千代子&藤山一郎

昭和歌謡史の中で、60年に及ぶ歌手人生を現役で全うした二人の大スターがいる。戦前・戦後期に明るい歌声で大衆に希望を与えた藤山一郎と、高度成長期に忘れられがちな日本の心を歌い続けた島倉千代子だ。
世代やジャンル、歌唱法、生い立ちなど、あらゆることが対照的に見える二人の歌手。それぞれの生涯をたどりながら、知られざる共通点を探る。

島倉千代子

・ひばりを追いかける少女歌手
子どもの頃に、左手に大ケガを負い、籠りがちだった。やがて歌う歓びに目覚めた島倉は、「鈴が鳴るよう」と称された美声で、憧れの美空ひばりと同じコロムビアから歌手デビューを果たす。
(「この世の花」「東京だヨおっ母さん」「からたち日記」他)

・哀しみを乗り越え、「人生いろいろ」
離婚、借金など私生活はトラブル続き。どん底の島倉を救ったのは、憧れのひばりの励ましと、数奇な人生を笑い飛ばす歌の力だった。そして、死の数日前に残した絶唱の秘話とは。
(「ほんきかしら」「人生いろいろ」「からたちの小径」他)

藤山一郎

・芸術か大衆歌謡か
織物問屋に生まれた藤山一郎は、早くから音楽に才能を見せ、東京音楽学校で声楽を学ぶ。だが、昭和恐慌で実家の経営が傾くと、藤山は家計を助けるため、芸術の夢を捨てて大衆歌謡の道へ。
(「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」「東京ラプソディー」他)

・戦争を生き抜き、平和の歌を
戦時中、藤山は南方戦線に派遣されたまま終戦。辛い抑留生活で救いとなったのは、やはり歌だった。帰国後、水を得た魚のように、人々に生きる希望と励ましを与えた。そして、平和への祈り…。
(「青い山脈」「長崎の鐘」「ラジオ体操の歌」他)

全く対照的な歌手人生を送りながら、藤山一郎と島倉千代子は、歌のチカラで同じ時代を生きる人々を励まし続けてきた。
藤山一郎、島倉千代子二人の歌は、今も多くの人々の心に残る名曲ばかり。激動の昭和歌謡史を紐解きながら、日本人の心の有り様を見つめ直す。