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#75

石本美由起

人間に寄り添い続けた「心の詩人」――作詞家・石本美由起。敗戦で打ちひしがれた日本人の心を何より慰めたのは「流行歌」。石本は病弱でつらい青春時代を過ごしたことから、歌が持つ力と温かさを誰よりも知り抜いていた作詞界の巨星。手がけた歌は4000曲余り。今回、戦後の復興と高度成長期を大衆とともに支えた数々の名曲を振り返りながら、人間に寄り添い続けた「心の詩人」の生涯に迫る。

●人生の一発大逆転 
幼い頃からぜんそくに苦しみ、孤独な日々を送った石本美由起の唯一の支えは詩を書くこと。同人誌への投稿が作曲家・江口夜詩に認められて作詞家へ。さらに、大スター・岡晴夫の心躍るヒット曲につながる。(「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」など)

●マドロス路線で地位確立
デビュー後に訪れたスランプを乗り越えて、美空ひばりのマドロス路線で復活。こまどり姉妹のデビューにも立ち会い、作詞家として地位を確立する。(「柿の木坂の家」「ひばりのマドロスさん」「港町十三番地」「浅草姉妹」「ソーラン渡り鳥」など)

●歌謡史に残る名曲、誕生秘話
古賀政男と作り上げた「悲しい酒」は、歌手の急死で宙に浮いたが、6年の歳月を経て女王・美空ひばりによる「涙の歌唱」で輝かしく生まれ変わる。戦後歌謡の金字塔、名曲がたどった運命の道。(「悲しい酒」「人生一路」「おんなの海峡」など)

●13社競作の末、頂点へ
きっかけは紀行番組で知った渡し舟の廃止。石本は偶然にも同じ番組を見ていた船村徹と、惜別の思いを込めて「矢切の渡し」を書く。当初、B面に埋もれていた曲は、大衆演劇の世界で息を吹き返し、多くの歌手が競作したうえ、レコード大賞の栄冠まで手にする。石本演歌の絶頂期が到来。(「矢切の渡し」「長良川艶歌」「大ちゃん数え唄」)

石本美由起の詩には優しさがあふれている。後進や若手歌手の育成にも力を尽くしながら、人の絆と出会いを大切にした作詞家の祈りが、懐かしいヒット曲とともによみがえる。