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PART1 五木ひろし・都はるみ

五木ひろし

ひばりが認めた数少ない歌手のひとり。ひばりをリスペクトする思いは今も変わらず、「ひばりさんが歌謡界の女王なら、自分は歌謡界の帝王になる」と、その一心で歌い続けた。
初めての出会いは、小学生のころ。福井の海岸で行われた映画のロケに来たひばりを見に行き、興奮して5月だというのに泳いでしまったそうだ。
歌手となってからは、楽屋でサンドウィッチを御馳走になったこと、誕生日のゴルフコンペに招待され、一緒にラウンドしたこと。婚約した際にフィアンセと共に自宅に招かれ、腕時計をプレゼントされたことなど、思い出のひとつひとつが宝物となっている。
しかし、「結婚式をあげた翌月、ひばりさんは亡くなった。
ひばりさんが一番苦しい時、自分は喜びの中にいた。
そのことが今でも申し訳けなく思える」と語る。

 

都はるみ

母親がひばりのファンで、小さいころからひばりの歌ばかり聴いて育った。
また、同じコロムビアレコードの後輩にあたり、自宅にも幾度となく招かれた。
初めての出会いは、新人としてデビューした時。同じステージに出演し、楽屋に挨拶に行ったが緊張のあまり、ちゃんとした挨拶が出来なかったと話す。
また、歌手になってからもチケットを購入し、新宿コマ劇場のひばり公演を見に行ったりもした。
やがて、食事に招かれる機会も多くなり、ある時は、お酒をすすめられてコークハイ40杯も飲んだそうだ。
コロムビアの歌手たちでレコーディングした「日本はればれ音頭」は思い出の1枚。ひばりと共に都も参加、初めて同じスタジオで仕事をした。
引退を決意した際には、テレビ局のひばりの楽屋を訪ね報告した。
「いちばん大切なものを失うんだがら、絶対に幸せにならなきゃダメよ」と言ったひばりの言葉は、今も心に刻まれているという。

また、五木と都のお気に入りの“ひばりソング”も紹介。
五木は、「リンゴ追分」「ひばりの佐渡情話」「哀愁波止場」「花笠道中」「港町十三番地」を、都は「花笠道中」「江戸の闇太郎」「三味線マドロス」「裏町酒場」「愛燦燦」を選曲、思い出を語った。