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スポーツ
トッププロ対決SP 前編・後編
女子ゴルフペアマッチ選手権
前編 2025年4月7日(月)よる9:00~10:54後編 2025年4月14日(月)よる9:00~10:54
エンタメ・音楽
小西化学工業株式会社 後篇
#99
ウェルビーイング、みつけた
2025年4月7日(月)よる8:54~9:00
旅・くらし
白線流し
#1
暦に願う
2025年4月6日(日)よる8:54~9:00
服を循環させる 三和沙友里(みわ・さゆり)28歳
未来につなぐエール
2025年4月6日(日)午後6:54~よる7:00
報道・ドキュメンタリー
「日本の山には知られざる素敵な食材がある!」全国の里山に入り可食植物を蒐集・利用法を提案する 日本草木研究所 古谷知華さん
#227
バトンタッチ SDGsはじめてます
2025年4月5日(土)よる6:30~6:54
BS朝日「ウェルビーイング放送中!」
テレビ局らしく、エンターテインメントにして届けていく。BS朝日の、新しい挑戦です。
BS朝日開局25周年記念サイト
BS朝日は2025年の12月に開局25年を迎えます。
BS朝日無料見逃し配信
放送終了後、期間限定で無料配信中!見逃し配信はTVerで!
銀のマルシェ
BS朝日 シニアビジネスプロジェクト始動! シニアが主役の番組・イベントなどに挑戦!
GAME A
BS朝日がゲーム事業に参入!第一弾はインディーゲームイベントに参加!
地方創生DX「発信と体験」
BS朝日が取り組む地方創生DX:「発信」と「体験」“知る人ぞ知る地方の魅力”にフォーカス
「これまで私たちは『死』というものをネガティブにとらえすぎてきたのではないか」と前田は語る。誰にでも何かしらの形で訪れるものなのに、忌み嫌いすぎてきたために、いざという時に深刻なダメージを食らってしまうことが多い。そこで、かつて日本人が持っていた無常観のように、『死』の受け入れ方や考え方を変えていく必要があると考えた。 その事業の1つが、故人を偲ぶためのオンラインサイト『葬想式』だ。葬儀というものがコンパクト化している昨今、故人と関わりのあった人物が、葬儀には行けなくとも、思い出の写真やメッセージを投稿できる場を作った。故人のこれまで知らなかった一面を見ることができると、約300件の実績を重ねた。前田は、コロナ禍で通常の葬儀ができない時期にサービスを始めたため、現在も無料で行っている。遺族の負担を考え、追悼サイトには公開期間を設け、画像やメッセージを有料で紙のアルバムに製作できるようにもした。 現在は、自宅でゆっくりとペットも一緒にお別れができる自宅葬専門のサービスや、死を身近に意識したり体感できる様々なイベントなどを企画、葬儀社にはできないアプローチを試みている。
2000年11月30日生まれ 東京出身ながら、魚釣りが好きなだけできると、隠岐諸島の高校に島留学。高2の時、お世話になった島のお父さんが亡くなったのだが、ご自宅での葬儀が、島の人々が集まって来て一緒にご飯を食べたり話したり、残された人々であらたな出会いや交流が生まれる、ただ悲しいだけの場ではないことが得難い体験となった。卒業後、東京に戻り、慶応大に進学。祖父の死も経験し、大学の仲間と葬祭関連の事業を行う会社を設立。
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「これまで私たちは『死』というものをネガティブにとらえすぎてきたのではないか」と前田は語る。誰にでも何かしらの形で訪れるものなのに、忌み嫌いすぎてきたために、いざという時に深刻なダメージを食らってしまうことが多い。そこで、かつて日本人が持っていた無常観のように、『死』の受け入れ方や考え方を変えていく必要があると考えた。
その事業の1つが、故人を偲ぶためのオンラインサイト『葬想式』だ。葬儀というものがコンパクト化している昨今、故人と関わりのあった人物が、葬儀には行けなくとも、思い出の写真やメッセージを投稿できる場を作った。故人のこれまで知らなかった一面を見ることができると、約300件の実績を重ねた。前田は、コロナ禍で通常の葬儀ができない時期にサービスを始めたため、現在も無料で行っている。遺族の負担を考え、追悼サイトには公開期間を設け、画像やメッセージを有料で紙のアルバムに製作できるようにもした。
現在は、自宅でゆっくりとペットも一緒にお別れができる自宅葬専門のサービスや、死を身近に意識したり体感できる様々なイベントなどを企画、葬儀社にはできないアプローチを試みている。
まえだ ひなた
2000年11月30日生まれ
東京出身ながら、魚釣りが好きなだけできると、隠岐諸島の高校に島留学。高2の時、お世話になった島のお父さんが亡くなったのだが、ご自宅での葬儀が、島の人々が集まって来て一緒にご飯を食べたり話したり、残された人々であらたな出会いや交流が生まれる、ただ悲しいだけの場ではないことが得難い体験となった。卒業後、東京に戻り、慶応大に進学。祖父の死も経験し、大学の仲間と葬祭関連の事業を行う会社を設立。