放送内容

司馬遼太郎の世界 高島礼子の九州探訪
~大分から長崎へ龍馬がたどったみち~

2019年3月23日(土)午前10:00~午前10:55

1867年(慶応3年)12月10日、京都・近江屋で坂本龍馬が暗殺されました。
龍馬に影響を与えた最大の人物は幕臣勝海舟。龍馬の将来性を見抜いていた勝は、未来の日本の道しるべを探るため(下関砲撃中止の交渉及び見聞)九州・長崎へと向かいます。その九州上陸の第一歩は、豊後・大分だった。

大分市佐賀関に上陸した勝一行。海舟日記によれば「2月15日佐賀関着船。即ち徳応寺へ」と記されています。徳応寺に所蔵されている「日本人物誌」に記された龍馬について寺の住職らに話を聞き、一行は肥後街道を通って鶴崎・野津原・今市・久住を経て阿蘇へ。彼らが向かった道中でのエピソードなどを探る。
大分市野津原では、地元伝統のおもてなし料理「自然薯のおとし汁」に舌鼓を。

久住では「神馬の石橋」を訪ねる。当時、関東には石橋が存在せず、勝海舟が驚いたと伝えられる石橋を眺めながら、彼らの旅に想いを馳せる。
旅は熊本を経て、いよいよ最終目的地、長崎へ。龍馬が興した日本初のカンパニー亀山社中跡を訪ねる
ここで「亀山」の名前の由来を知る。この一帯は幕末の約50年、亀山焼という窯元があった。時代の流れとともに廃窯となった亀山焼。ところが、龍馬も愛用したとされる幻の陶器が復活していた。

1864年龍馬が亡くなる3年前。そこから僅か3年で日本初の商社「亀山社中」を設立、「薩長同盟」「船中八策」「大政奉還」と龍馬は奔走します。まさに、大事を成す第一歩が九州でした。
大分市佐賀関から長崎までの九州路の旅とは一体どのようなものだったのか。その道のりを女優の高島礼子が巡る。約150年前に通った二人の足跡とは。

■旅人
高島礼子