番組表

次回放送予定

ザ・偉人伝
昭和の夜が惚れた「ムード歌謡」3時間スペシャル
~松尾和子・青江三奈・三條正人・前川清~

歌謡曲が黄金時代を迎えた1950~60年代、日本は高度経済成長のまっただ中にあった。
夜ともなるとネオンが美しく輝き、高級ナイトクラブやキャバレーのステージから流れる歌声が街を彩った。
そうした昭和の夜が生んだのが、ムード歌謡だ。
松尾和子、青江三奈…そしてムードコーラスブームを牽引した、鶴岡雅義と東京ロマンチカ(Vo.)三條正人。さらに内山田洋とクール・ファイブ(Vo.)前川清。
この人気コーラスグループはどのような経緯で結成されたのか。
4人のムード歌謡レジェンドが紡いだ名曲の数々と、その波乱に満ちた軌跡を、
魅惑の歌声とともに3時間でお届けする。

 

松尾和子
青江三奈
三條正人
前川清

 
●松尾和子 息子のために走り続け、駆け抜けた57年
父の他界により16歳で家族を養うため歌の世界へ。英語も読めないまま米兵相手に必死で歌を覚え、やがてフランク永井にスカウトされ「東京ナイト・クラブ」などでムード歌謡の女王へ上り詰める。 プライベートでは離婚後、女手一つで長男を育てるも、平成3年にその息子が覚醒剤で逮捕。「過保護すぎた私の責任」と頭を下げて芸能活動を自粛し、事業失敗の借金も重なって精神的に追い詰められていく。服役中の息子の帰りを待つ平成4年、自宅の階段で転落。「大丈夫」と言い張りながらもその数時間後、57歳の若さで急逝した。
 
●青江三奈 自分の足で立ち、最期に愛を貫いた59年
OLのかたわら歌い続けていた頃、作曲家・花礼二と出会う。彼の指導のもと「伊勢佐木町ブルース」の吐息で一躍スターとなり、ブルースの女王として一時代を築いた。 公私ともに16年連れ添った花だったが、「彼の分身ではなく自分の足で生きたい」と昭和53年に自ら別れを告げる。しかし平成10年、膵臓がんを発症。病の再発を知った青江は、19年ぶりに花へ「戻ってきて」と連絡をとる。病床で婚姻届を出し、念願の正式な夫婦となってわずか6週間後、59歳で息を引き取った。
 
●三條正人 厳格な父を欺いて掴んだ夢、惑いと復帰の51年
警察幹部の父を「大学進学」と偽って騙し上京、2年で中退してナイトクラブのコンテストから歌の世界へ。昭和42年、「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のリードボーカルとして「小樽のひとよ」で大ヒットを飛ばす。 女優・香山美子との結婚後にソロへ転向するも、鳴かず飛ばずの極貧・地方回りへ。客の顔を「一万円札」と思い込んで歌う過酷な日々の中、古賀政男の助言でグループへ復帰した。その後も独立と復帰を繰り返す波乱の音楽人生を歩んだ。平成29年、妻と息子に見守られ悪性リンパ腫のため74歳で死去した。
 
●前川清 好きで始めたわけじゃない、生きるために歌い続けた50年
幼少期の持病、貧困、甲子園の夢の挫折……。生きるための消去法で選んだのが歌手だった。キャバレーのバンドボーイから「内山田洋とクール・ファイブ」のボーカルに抜擢され、昭和44年「長崎は今日も雨だった」で鮮烈なデビューを飾る。 緊張と手持ち無沙汰から生まれた「直立不動」の歌唱スタイルで一躍スターとなるも、本人に「歌への情熱や執着」は一切なかった。父に贈ったオメガの腕時計を大切に胸に抱きながら、「楽しくはなかったが生活のために泥臭く歌い切った」と語る。その飾らない生き様を今も貫いている。
 
ネオンが美しく輝き、高級ナイトクラブやキャバレーのステージから流れる歌声。その昭和の夜を彩った4人のムード歌謡のレジェンドたち。彼ら波乱に満ちた人生を、魅惑の歌声とともに辿りながら、名曲誕生に秘められた物語にも迫る3時間です。

 
〈インタビュー〉
鶴岡雅義(東京ロマンチカリーダー)、前川清(歌手)、酒井一圭(純烈リーダー)、やくみつる、小堺一機、徳光和夫

鶴岡雅義
(三條正人を東京ロマンチカのボーカリストにスカウト)
前川清(歌手)
酒井一圭
(純烈リーダー・前川清をリスペクトしている。ファン代表として取材)
やくみつる
小堺一機
徳光和夫(昭和歌謡に精通)